ラージャスターン物語 5
ピンクシティ:ジャイプル
ジャイプル、いわゆる「ピンクシティ」は、1727年にサワーイー・ジャイ・スィン2世によって建設された都市である。彼はそれまでの居城であったアンベールの山城を離れ、平坦な地に新たな都を築いた。当時、ムガル帝国によって、抗争の時代は落ち着き、父王とともにムガルの宮廷で重きをなしていたサワーイー・ジャイ・スィン2世は、その地位を確立していた。そのため、防御を重視した山城ではなく、計画的に整備された新都市ジャイプルの建設へと踏み切ったのである。
この都市はインドでも初期の計画都市の一つとされ、宮殿を中心に整然とした街路が広がっている。1876年には、エドワード7世(当時ウェールズ皇太子)のジャイプル訪問を歓迎するため、街全体がこのピンク色に塗られ、これが現在に至るまで受け継がれている。
サワーイー・ジャイ・スィン2世は、アンベール王家に生まれ、1700年、わずか11歳で父ビシュヌ・スィンの跡を継いでアンベール王となった。この時代、インドではムガル帝国の勢力が次第に弱まり始めていた。しかしジャイ・スィンはムガル帝国と巧みに関係を保ち、とりわけ皇帝アウラングゼーブの後継者たちとの外交を通じて、自らの王国を守った。
ジャイ・スィン2世を特に興味深い人物にしているのが、天文学への情熱だった。彼は天体の動きを正確に観測するため、インド各地に巨大な天文観測施設を建設した。その代表がジャイプルのジャンタル・マンタルで、巨大な石造・煉瓦造の観測装置で、太陽の高度、時刻、天体の位置、黄道座標などを測定したのだった。
宮殿内には複数の博物館が設けられており、マハーラージャの豊かな財力と文化的水準の高さを物語っている。その一つには、インド細密画の優れたコレクションが収蔵されている。細密画はもともとペルシャの影響を受けて発展したものであるが、ジャイプルはその重要な中心地の一つとなり、多くの優れた画家を輩出した。収蔵品はいずれも質が高く、歴代のマハーラージャによって収集されたインド屈指のコレクションといえる。また別の建物には、歴代のマハーラージャとその家族が実際に着用した衣装が展示されており、ラージャスターンの華麗な服飾文化を体感することができる。
文・写真:©松本 榮一(Eiichi Matsumoto)
写真家、著述家
日本大学芸術学部文芸学科を中退し、1971年よりインド・ブッダガヤの日本寺の駐在員として滞在。4年後、毎日新聞社の依頼で、全インド仏教遺跡の撮影を開始。写真集『インド』全三巻を毎日コミュニケーションから刊行。のち、インド各地に散らばる亡命チベット人の難民村を取材する。1981年には初めてポタラ宮を撮影、写真集『西蔵』にまとめる。以来インドとチベット仏教をテーマに取材を続けている。
主な出版、写真集 は『祈りのブッダ』奈良康明文、松本榮一写真(NHK出版、1999年)
『インドおもしろ不思議図鑑』松本榮一、宮本久義編著(新潮社、1996年)
『死を待つ家』松本榮一著(メディアファクトリー、1999年)
『ガンガー 母なるインドの聖河』松本栄一写真集(丹陽/雄山閣、2002年)
『東北大学所蔵 河口慧海請来チベット資料図録』(佼成出版社編刊、1986年)
図録『甦るパリ万博と立体マンダラ展』(西武百貨店、1989年) 他
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更新日:2026.11.01