ラージャスターン物語 3
ジョードプル:ラージプートの王国
ラージャスターンのラージプートの王たちはムガルの皇帝に服属し、江戸幕府と諸大名の関係のような立場になった。ただし南インドにはマラーター同盟という強大な敵対する連合体があり、ラージプートの王たちは、ムガル皇帝の命令を受けてこれと戦った。ジョードプルのマールワール王家も、ジャイプルの王家に負けずに、皇帝に忠誠を誓ったのだった。
ムガル皇帝は全土を一度皇帝のものとし、そこから、働きに応じて所領と報酬を与えることでラージプートの諸王を支配した。この所領をジャーギール(給与地)、報酬をマンサブ(禄位)と言う。江戸幕府の大名に対する禄高に似ているが、日本の場合よりも細かく、頻繁に増減したのだった。代が変わるたびに、マンサブとジャ―ギールを頻繁に変えていったのだが、在地の王であるラージプートの王のほうがだんだんと有利になり、皇帝側は先細って行った。これが、ムガル帝国が滅んだ一つの原因になったと考えられている。
英国統治時代は、マハーラージャたちの領土争いもなくなり、結果的にそれぞれの領地は安堵され、時のマハーラージャであったウメイド・スィンにより、現在も残る宮殿ウメイド・バワンが建てられた。
またジョードプルのマハーラージャのロールスロイスを買い占めた事件は有名だ。ロンドンのロールスロイスのショールームで店員が、植民地だったインド人を小ばかにしたことが、その発端だった。買いに来たのは実はマハーラージャだった。怒った彼は店内にあるロールスロイスをすべて買い占めたと伝えられている。
さて、時代は下って、インド独立のころ、マハーラージャ、ハヌワント・スィンはパキスタンに帰属するか、インドに帰属するか大いに悩んでいた。ジョードプルの位置が両者の境にあったからである。結局、インド側のパテールとメノンの説得でインドに帰属したのだった。しかし悲しいことにハヌワント・スィンは1952年自ら操縦する小型機の墜落で不帰の人となった。
写真は独立前、自ら飛行機を操縦したウメイド・スィンとその息子たち。

「India in Britain」Kusoom Vadgama, London, 1984.
文・写真:©松本 榮一(Eiichi Matsumoto)
写真家、著述家
日本大学芸術学部文芸学科を中退し、1971年よりインド・ブッダガヤの日本寺の駐在員として滞在。4年後、毎日新聞社の依頼で、全インド仏教遺跡の撮影を開始。写真集『インド』全三巻を毎日コミュニケーションから刊行。のち、インド各地に散らばる亡命チベット人の難民村を取材する。1981年には初めてポタラ宮を撮影、写真集『西蔵』にまとめる。以来インドとチベット仏教をテーマに取材を続けている。
主な出版、写真集 は『祈りのブッダ』奈良康明文、松本榮一写真(NHK出版、1999年)
『インドおもしろ不思議図鑑』松本榮一、宮本久義編著(新潮社、1996年)
『死を待つ家』松本榮一著(メディアファクトリー、1999年)
『ガンガー 母なるインドの聖河』松本栄一写真集(丹陽/雄山閣、2002年)
『東北大学所蔵 河口慧海請来チベット資料図録』(佼成出版社編刊、1986年)
図録『甦るパリ万博と立体マンダラ展』(西武百貨店、1989年) 他
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更新日:2026.09.01