ラージャスターン物語 1
マハーラージャの物語
インドがイギリス植民地からの独立を果たしたのは1947年。私が生まれたのが1948年だから、そのわずか一年前の出来事である。
独立以前のインドは、単純にイギリスによって一元的に支配されていたわけではなく、イギリス直轄領と、各地のマハーラージャが治める藩王国(プリンスリー・ステート)が併存する、いわば二重構造の統治体制であった。面積でいえば、ほぼ半々に近かったともいわれている。
もっとも、マハーラージャの領地といえど完全な独立国ではなく、イギリスは「駐在官(レジデント)」を派遣し、軍事力を背景に強い影響力を及ぼしていた。
マハーラージャといえば、とりわけラージャスターン州が名高い。州の面積は約34万平方キロと、日本に匹敵する広さを持ち、デリーの西方に位置する。州都はジャイプルである。
この地は砂漠のイメージが強いが、実際には平坦で利用可能な土地も多く、歴史的に豊かな王国文化を育んできた。また西はパキスタンと国境を接している。
1947年の独立後、マハーラージャたちは統治権を失ったが、その家系の多くは現在も存続している。「ラージャー(王)の国」という意味をもつ州名は、そうした歴史の名残ともいえるだろう。
この地方はかつて「ラージプーターナー」とも呼ばれ、武勇で知られるラージプート族が支配していた。多くのマハーラージャはこのラージプートに属し、ヒンドゥー教徒で、カーストではクシャトリヤ(戦士階級)に位置づけられる。ただし、その起源についてはなお定説がない。
彼らの気質を知るには、チットールガル城の攻防戦の物語が象徴的である。
メーワール王家の拠点であったこの巨大な山城に、ムガル帝国のチットール攻囲戦で知られるように、イスラーム勢力であるムガル軍が攻め寄せた。
圧倒的な軍勢に対し、城はついに落城を目前にする。そのとき城内の女性たちは、敵に捕らわれ辱めを受けることを拒み、自ら火中に身を投じる「ジャウハル」と呼ばれる集団殉死を選んだ。
これはラージプートの女性たちの誇りとされ、同時にこの地の戦国時代の苛烈さを物語っている。
ラージャスターンの歴史とは、華麗な宮殿文化の裏側に、このような激しく、そして悲しい物語を秘めた世界でもある。
文・写真:©松本 榮一(Eiichi Matsumoto)
写真家、著述家
日本大学芸術学部文芸学科を中退し、1971年よりインド・ブッダガヤの日本寺の駐在員として滞在。4年後、毎日新聞社の依頼で、全インド仏教遺跡の撮影を開始。写真集『インド』全三巻を毎日コミュニケーションから刊行。のち、インド各地に散らばる亡命チベット人の難民村を取材する。1981年には初めてポタラ宮を撮影、写真集『西蔵』にまとめる。以来インドとチベット仏教をテーマに取材を続けている。
主な出版、写真集 は『祈りのブッダ』奈良康明文、松本榮一写真(NHK出版、1999年)
『インドおもしろ不思議図鑑』松本榮一、宮本久義編著(新潮社、1996年)
『死を待つ家』松本榮一著(メディアファクトリー、1999年)
『ガンガー 母なるインドの聖河』松本栄一写真集(丹陽/雄山閣、2002年)
『東北大学所蔵 河口慧海請来チベット資料図録』(佼成出版社編刊、1986年)
図録『甦るパリ万博と立体マンダラ展』(西武百貨店、1989年) 他
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更新日:2026.07.01