アジャンター石窟群の発見
今を遡ることおよそ200年前、1819年4月のことでした。インドに駐屯していたイギリス人の士官ジョン・スミスは、デカン高原を支配しているハイダラバードのナワーブ(ムスリムの藩王)に招かれ、虎狩りをしている最中、偶然アジャンターの石窟群を発見しました。
それは、世界の美術史に残る出来事でした。
その後の調査・研究により、この石窟群が作られた時期は前期(BC. 1~AD. 1)と後期(AD. 5~AD. 6)に分けられました。しかし美術的な価値は後期に集中していると言えるでしょう。
この時代、北インドではパータリプトラを首都とするグプタ朝が最盛期を迎え、サールナートの初転法輪像も作られました。
また南インドでも、アジャンターの石窟群を作ったといわれるデカン高原のヴァーカータカ朝が、北インドのグプタ朝と姻戚関係を結び、文化や技術を交換したと考えられています。
北でも南でも優れた芸術を生み出していた時代のインド。まさに「仏教芸術の精華が生み出された時代」と言えるのではないでしょうか。
松本 榮一(Eiichi Matsumoto)
写真家、著述家
日本大学芸術学部を中退し、1971年よりインド・ブッダガヤの日本寺の駐在員として滞在。4年後、毎日新聞社英文局の依頼で、全インド仏教遺跡の撮影を開始。同時に、インド各地のチベット難民村を取材する。1981年には初めてチベット・ラサにあるポタラ宮を撮影、以来インドとチベット仏教をテーマに取材を続けている。主な出版、写真集 『印度』全三巻、『西蔵』全三巻、『中國』全三巻(すべて毎日コミニケーションズ)他多数
更新日:2021.05.01